意識と感情のあいだ〜感情の生じるプロセスに遺伝子の記憶が関わっているという考え

感情は欲求とのギャップから生じるのではとブログやHPに以前から書いているが、遺伝子の記憶に、例えば「認められないことは悲しい」といったことが刻まれているのでは.. というのを考えた。
仮説: 脳の中ではふつうのエピソード記憶と相似形の[記憶]と同じ原理で[遺伝子の記憶]が格納されている。
欲求が満たされなくて悲しく感じられる時に、本能のような働きをもって生じた欲求が、現実とのギャップを[意識]することで感情が生じると考えていたが、その本能のような働きも脳内では[記憶]と同じ原理で格納されていて、[新しい入力](大切な人が信じてくれなかった→「認めてくれなかった」等)が「認められないことは悲しい」という記憶様の本能の働きをする遺伝子の記憶を呼び起こして、悲しみの感情を感じているという考え。ホーキンスの本に新皮質は一様という表現が有ったような気がするが、記憶と本能(遺伝子の記憶)は一様に同じ原理ではたらいているという拡大解釈。
例えば「認められないことは悲しい」という遺伝子の記憶が、現実に経験した悲しい記憶のエピソード記憶と[連想]を通じてシームレスにつながり、より強く悲しみを感じるようなことは有るかもしれない。「(自分が)認められないことは悲しい」、「自分が悲しかった過去の記憶」というように自分を主体として思い出すことでホムンクルスを用いることなく感情を意識しているように思う。シームレスがキーワードか。
前に、 @levinassien のブログで、「感情が外観の模倣のみにより生じる」という仮説を書かれていたのを見て、やや極端かとpostしたことが有った。けれど強い記憶の部分は、過去の経験の連想により強化されることも有り得ると思うので、否定してはいけなかったかもしれない。
感情の話は[意識]の話題からはかなり遠いとされていると思うが、遺伝子の記憶がエピソード記憶とつながりホムンクルス抜きで感情を示すとすれば、エピソード記憶の[連想]によりホムンクルス抜きで[意識]を感じるということも有り得ると思う。(元々は意識についての仮説を言ってきたが、先に感情の仮説の方がそれらしいと感じられたとしたら、帰納的に意識についても考えても良いかと思ってみた。)

※以上、11/10に日付が変わった際のtwitterへのpostをもとに加筆・修正。

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