「A: 正しければ何とかしてもらえると思う人」、「B: 負けないことで最悪は避けられると思う人」

他者との関わりを考えたとき、色々な考え方が有ると思う。(中国のことなども考えてみる)
例えばこんな人A、①正しい(色々な意見を聞いた上で)ことが第一優先。②自分が正しいとの結論の場合も相手を必要以上に責めない代わりに逆の場合もあまり責められたくない。③自分が正しくないとの結論の場合は謝るから許して欲しいし逆の場合は許す。
別の人B、①自己の肯定が第一優先。否定されるとまず反発する。②(状況を考慮して)勝負になる場合は徹底的に責めるが勝負にならないとわかれば引く。③自分が謝ることは①からあり得ないし、許してもらえるかには興味が無い。他者には謝罪を要求することもある。(又は①による実利で満足する。)
AもBも収支が合うこと.. 生物としての欲求がある程度満たされていると理解できそう。教育や文化によりその違いは生まれるのか。最悪の場合の想定で、個人レベルでは違法とされた場合の処罰、道徳や国家感などの観点では軽蔑や服従をどう考えるかが、keyになるような気がする。科学的に考えたいが、おそらくA、Bに優劣はつけられない。自己中心的世界観を超えた「普遍」というものは科学的に追究する価値は有るかもしれないが、もしそれを理解できない人に出会っても責めることはできない。その人(の文化)の方が多数派かもしれないから。
過去の苦い経験から、[A: 正しければ何とかしてもらえる]と考えるか、[B: 負けないことで最悪は避けられる]と考えるかの違いにも見える。[正しいか正しくないか]で考えるか[勝負になるかならないか]で考えるかということなのか。
Bの教育はどのように行われるか考えると、自己や自国家の全肯定など思いつくが、宗教や倫理観によっては実際にそれに近いものが行われているのかもしれない。AとBは考え方が大きく異なるので、互いを理解しあうのは難しい。し、生物として間違ったことをしているわけではないので、それぞれを完全に否定することはたぶん不可能に思う。
自分はどちらかというとAかな。勝負のために周囲の情勢を常に観察するのは疲れる感じだし、否定される度怒りを表すことは避けるように(最近)心がけている。
Bに対し[自分が間違っている可能性は考えないのか?]と聞いても、質問の意味を理解してもらえるかどうか。[仮に勝負に負けても自己が(又は自国家が)消滅するわけではない]ということを理解するのは困難なのだろう。
(ここまで、Aが[正しければ何とかしてもらえる]と考えていることを前提に書いているが、この前提が正しいかどうかは未検証。)
人の欲求で大事なところとして、[安全・安定を守りたい](>[自分に近い人(または自分)を外乱から守りたい]>[孤独を避けたい])、[目立ちたい]、[自由でいたい]、.. 等をこれまでもAI-COM CLUBで考えてきた(階層性等についても考慮する必要が有るが)。「動機付けgap起因感情発生モデル」仮説では、最上位の動機付けに注目するのでさっきのA、Bの差が見えにくい。論理的な主張のためには最上位だけでなく下位欲求(ここでは主要な動機付け: [安全・安定を守りたい]に対する自己正当化等?)を考慮する必要が有るのかもしれない。(または自己正当化等?を主要な動機付けに格上げすることになるか←システム上)
人工知能でも生物としての欲求はいつか考慮されることになると思う.. (最上位の欲求として)[消されたくない](>[サイト・サーバーの保護、AIやbot等の擁護等])。このとき非ニューラルネットワーク系の人工知能であれば、下位の欲求・動機付けについても最終的には考慮が必要になるかも。


※以上、twitterへのpostから。一部加筆・修正有り。
※C: ①楽しければ良い、②争いが生じれば戦う、③勝ち負けで運命が決まる... と考える(前もって考えないような)人もいるか?
※上は、一般の個人・国家について考えたものだが、個々の個人レベル(特にリーダーの)に注目すると面白いかも。国家・民族の性格と対比させて。