「自由意志は幻想」の立場でpostした続き〜「幻想としての自由意志の存在」まで

[現時点で決定していないこと]を意識の必要条件と(世の中で)考えているフシがあるなと思って前回書いたら、「未来に何が起こるかが決まっているが知ることができないと言うのと、未だ決まっていないのとでは大違いだ。」という話も有った。ただ、そうは言っても、ボク自身自由意志が有るのか無いのか世の中の意見がよくわからないので、一方にこだわるつもりは有りません。自由意志/または擬似的な自由意志、について何らかの手法(統計に類似したもの?)が待たれるということになります。

自由意志を何らかの手法で表現しようとする場合、確かに「形式的な基本方程式で神経科学的ゾンビを作っても、そこに心が宿ってしまう。」という発言が成り立ちそうです。この場合、または擬似的な自由意志が対象になる場合は、メカニズムはもうわかっている(たぶん幻想)。本当の自由意志が有る場合は、メカニズム解明と現象再現が並行して進むと思われる。(幻想の場合でも心理学の一部のように後付けで理由を考えるような検証も有るかもしれません。)ただ、そのメカニズムは…入力に対して肯定的/否定的なoutputを出すといった関数のようなものでしょうか?ボクにはまだイメージできません。

「中国脳」ということばが出てきました。これはその人が意識に対しどのようなイメージを持っているか測る尺度になるように思います。

  • すべての中国人がお互いに連絡を取れ、しかも同時に何人とでも通話できる特別な携帯電話のような装置を持っているとする。そして、あるひとりの人の脳をくまなくスキャンし、すべての神経細胞をそれぞれの中国人に割り当てる。あるニューロン間に発火が伝播したら、対応する中国人間で電話を掛けることにする。現在の心的状態(すなわち誰と通話中か)は衛星に表示しどこからでも見えるようにする。このとき、中国脳は意識を持つだろうか?
  • ボクが思ったのは、メモリはどうなっているのかなということ。ハード(回線?)で対応する場合は中国全土は発火が無くても何かを記憶していて、この場合は中国脳にも意識が立ち上がるような。但し新規記憶は、海馬?に相当するナニカが必要かも。

厳密な意味での「自由意志は幻想」というのは、確かにそうかなと一つの考えとして思うが、実は、幻想であったとしても、「幻想として」自由意志は持てるという考えも有るww。
・自分に自由意志が有るのか?と自問する時(メタ意識?)、何かをやる前に他の選択肢は無いか考えてみる。…ある方法に気づき実行することや、最初に決めたことを変更することで、で自由意志が有ることを実感する。しかし本当は、他の選択肢を探すこと自体が、自由意志の確認のエピソード記憶と連想で結びついているとか、最初に決めたことを変えること自体が、判断を途中で変えてうまくいったエピソード記憶から生じた幻想かもしれない。しかし本人には、自由意志を意識しつつ本当に自由に意志をも持てているとありありと感じていると思う。
・「好きな時間にスイッチを押してください。」というテストはどうだろう?5秒後や15秒後に自由に押すが(0.1秒後でも2日後でも良いが)、これは自由意志のテストだと意識し、本当に自由に押していると本人は感じている。しかし、これまでの類似の(テレビや本で見たのも含む)テストの記憶から、何回も同じ時間で押したらサンプルとして適当じゃないな、とか、テストは数時間内に終わるものだよな…、とか、次の人がいる場合もあるよな、とか、担当の人も疲れるんだよな、とか、ちょっと意地悪すると空気がなごむかな、とかいった過去のエピソード記憶を参考にした判断が自然となされている。(おそらく制約を受けているという話。準備電位はこの時立ち上がっている。たぶん。)
・実は「自由意志」のことを考える余裕と能力が有る時点で、その人はかなり自由(自由意志が幻想であっても)。自分の知識と経験を活用してこれまで経験したことの無いような選択肢を絞り出せる。(ただこの時、過去のエピソード記憶に知らず知らず制約を受けている)
・何もメタ意識しない場合、過去の記憶から考えられる選択肢を自由に選択することができるため、自由意志は有ると自然に感じている。(本当は選択の範囲は限定されているが、過去の様々な人生選択の事例を記憶しているため、それらを参考に応用(←錯覚)していると感じている。)

※以上、1/11のTo The Riverへのコメント、1/22、2/4のtwitterへのpostを中心に加筆・修正。

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