人の「意識とはなにか(そのテストは驚くほど簡単)」について、日経サイエンスで採り上げていた。

日経サイエンス2011年9月号 でChristof Kochの「意識」について採り上げていた。監修者は土谷さん。
前に雑誌ニュートンであまり意識や脳について採り上げられてないとpostしたことが有るが、今回の特集は(雑誌はかわるが)嬉しい。NCC(Neural Correlates of Consciousness=意識と相関のあるニューロン)を探す研究は主流になってないとpostしたことも有るが、今回で注目が高まったかも。今月の特集では、意識は情報量が非常に大きくしかも統合化されているとして、「この写真どこかヘン?と感じる(空中で腕時計を見ている写真を不自然と感じる)のは、人にはできても現在のコンピュータにはできない…としている。

  • ここからは、ボクの理解:
    • どこかヘンな写真を見た場合は…実はエピソード記憶を思い出して比較する処理を行っている。ということは、(ほぼ)記憶通りの入力に対しては同じだったと理解し(無意識≒殆ど意識されない)、記憶と違う入力に対しては「意識」される(と思う)。
    • どこかヘンな写真を見た場合、まずエピソード記憶と比較して、記憶に有ったか無かったかが判定され、記憶に無い場合は(それと「意識」され)、新たにエピソード記憶として記憶されると思う。
    • (意識って「目が覚めている」という意味か、「気付く(または自覚)」という意味で用いることが多かったと思うけど、)ここではどこかヘンな写真を見た場合に、新入力と「意識(気づか)」され、さらに「ヘンと理解される」と言っているように読めた。
    • 新入力が有る場合、「意識」されるためには「以前と異なる入力」だと「理解(意味理解)」されないといけないということか?改めて考えさせられた。
    • マウスから単細胞生物まで生身の生物は、[新入力が有る場合、「意識」するためには「以前と異なる入力」だと「理解」]することが必要という考え。人は自然に理解するから意味理解の大事さを意識していなかった。ヘンだという理解の他、「〜と同じ」というシンプルな理解も意味を理解していなければ困難な話。「意味理解」はキーワード。たぶん。
    • 脳神経系の反応では、同入力−異入力の判定は(たぶん)何の苦労も無く行われると思うが、擬似的なシステム(非脳神経系)では、何かのパラメータに対し、同一度が閾値以上でないと同一と判定されないようなシステムとなると思う。
    • 「意識は情報量が非常に大きくしかも統合化されている」については、脳神経系、擬似的なシステム双方で研究が進められていると思うが、乳幼児レベルを想定すれば、現状の擬似的なシステムでも視野に入ってくると思う。
    • ボクがAI-COM BLUEなどで考えている「意味理解のようなもの」も擬似的なシステムによる意識に近づこうとするものなのかも。

※以上、twitterへのpostをもとに加筆・修正。

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